この先も東京の変化を見届けたい――。
モーリー・ロバートソンが案内する、「僕が暮らし、放浪した3つの街」。

変化し続ける街、東京。世界からも注目されるアジア屈指の都市の魅力を、日本人とは異なる視点で語ってもらうこの企画。今回は音楽活動の一方、テレビ番組ではコメンテーターとして活躍するモーリー・ロバートソンが上野、新宿、渋谷を案内してくれた。

写真:榊水麗 文:高野智宏

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江戸の薫りを残す古き街並みと天高くそびえる高層ビル、静かなる和の佇まいと洋のダイナミズム、そして、四方八方から飛び交う多彩な言語——。平成から令和へと変わり、東京オリンピック・パラリンピックの開催を目前に控えたいま、東京はこれまでないほどのエネルギーに満ちている。そんななか、モーリー・ロバートソンが案内してくれた上野、新宿、渋谷は、実際に彼が暮らし、路地裏まで歩いてきた街だ。約30年に渡り見続けてきた3つの街の変化を、モーリーならではの視点で語ってもらった。

古典が息づく街に迫る、
グローバル化の波。

徳川将軍家の菩提寺である旧寛永寺(現在の上野恩賜公園)の門前町を発祥とする上野。公園内には東京国立博物館や国立西洋美術館など多くの文化施設を要する学術地域ながら、その一方で戦後の闇市から発展した屋外市場、アメヤ横丁がこの街を象徴する雑多な賑わいを見せる。また、ひと駅先の徒歩圏内にはサブカルチャーの聖地、秋葉原がブレードランナーよろしく東京の混沌を描き出す。
モーリーは、そんな上野エリアの御徒町に数年前まで住んでいたという。モーリーが上野に居を構えた理由とは。
「なにかの理由で妻と上野に来て、当時、引っ越しを考えていたため、ふらっと入った不動産屋でこれという部屋と出合ったのです。住み始めた理由は部屋ですが、上野という街が気に入らなければ8年も住んでいませんよね(笑)」

モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)●1963年、ニューヨーク生まれ。アメリカ人医師の父親と毎日新聞社記者だった日本人の母親をもつ。5歳の時、父の仕事の関係で広島市に移住し、中高は日米を行き来した生活を送る。ハーバード大など複数の名門大学にも合格。ハーバード大へ入学すると音楽活動に没頭。電子音楽とアニメーションを学ぶ。91年からラジオでのDJ活動を開始。その後、ビデオポッドキャストなどで配信するなどジャーナリスト活動を展開する。現在は「所さん! 大変ですよ」(NHK)や「スッキリ」(NTV)などのテレビ番組でのコメンテーターやインターネットラジオ、block.fmでのトーク&DJ番組「Morley Robertson Show」、雑誌、Newsweek日本版で「点と線」の連載など、メディアの枠を超え多方面で活躍する。

駅前の新しい街並みと下町らしい景色が複雑に融合した風景も、進化し続ける東京の面白さだと語るモーリー。雨宿りをするモーリーの後ろに建つのは、上野の名店とんかつ屋「井泉」だ。

「ここの回転寿司は安いけどネタがイマイチ」や「この漢方薬局では生きたスッポンを飼っている」。さらに、さる総合雑貨店では「これはある人気菓子の製造過程で割れたB級品を、別の名称で売ってるんです。安いし味は確かだからSNSで拡散され、いま訪日外国人たちに人気なんです」など、ジャーナリスト視点のネタを披露してくれるモーリー。そんな彼が手放しに絶賛するのが、上野の名店、とんかつ「井泉」だ。
「サクサクの衣の中は、まさに箸で切れるほどに柔らかい豚肉で、噛めばじわりと脂と旨味が溢れ出る。最初にヒレかつを食べた時の衝撃が忘れられません」
そうした下町を抜けるとすぐ、再開発された駅前のビル群が姿を現した。

「PARCO_ya」は、「ちょっと上の、おとなの、パルコ」をコンセプトに、2017年11月にオープン。松坂屋店、TOHOシネマズ、そしてオフィスが入る複合ビルへの出店となる。

「あの松坂屋がおしゃれになったんですねぇ。そこにパルコが入って、ついには上野にも、ディーン アンド デルーカが出店かぁ……」。そう感慨深そうに洗練された松坂屋を見上げるモーリー。その真意とは?
「かつての渋谷パルコが若者文化を発信する象徴的な存在でしたが、このパルコヤは大人向けである一方、ディーン アンド デルーカなどインバウンドをも意識した店揃えになっている。外国人観光客に、上野散策のついでにここで買い物や飲食をしてほしいというわけです。同じ流れを感じたのは、14年に御徒町駅前の吉池本店ビルに出店したユニクロのグローバル旗艦店です。パルコヤはユニクロに続く、上野のグローバル化における象徴なのかもしれません。寂しいというよりも、いよいよ上野もそうした街になるのだなという変化を感じますね」

スタジオアルタが象徴的な新宿駅東口。「ここの大型家電店が中国語のアナウンスを流すようになり、中国経済の発展を肌で感じました」

上野に次いでモーリーがやってきたのは、日本最大の歓楽街である新宿。ここ新宿には、彼の雌伏の時代の思い出が刻まれていた。
「御徒町の前に高田馬場に約10年ほど住んでいて、何をするにも新宿だったんです。ただ、当時は1991年から断続的に続いていたあるラジオ局の仕事が無くなり、経済的には苦しかった時代。だから移動はすべて徒歩。新宿界隈を歩き回り、最終的には歩いて靴を履きつぶすのが目的になっていたくらい(笑)」
そんなモーリーが注目したのは、歌舞伎町がある東口でも、超高層ビルが立ち並ぶ西新宿でもなく南口。駅周辺に点在していた高速バス乗降場を集約し、2016年にオープンした「バスタ新宿」や複合施設「ニュウマン新宿」のオープンで、「当時とは雰囲気がガラリと変わった」と振り返る。

モーリーが放浪していた時代の雰囲気を残す新宿東南口の飲食店街。「私がイメージする新宿といえばこういう雰囲気。昼夜問わず歩き倒した町の面影があります」

「僕が新宿界隈を歩き回っていた頃の南口は、それこそ闇市のようにゴミゴミとしていたし、当時から続く大規模な工事は未来永劫終わりがないように感じていました。そんな南口にもバスタやニュウマンができて、とても洗練されスッキリした印象に生まれ変わり、少々、呆気にとられています(笑)」
そんな新宿駅南口だが、東南口の大階段下にはモーリーが慣れ親しんだかつての雑然とした町並みも、いまだその面影を残している。
「そう、僕が歩き回っていた時代の南口はどこもこういう雰囲気だったの。だから、甲州街道沿いのグローバル化による洗練された南口と、こういう昭和、平成の時代から変わっていない雑多な街並みの雰囲気を比較してみるのも、新宿の楽しみ方としては面白いかもしれませんね」

新宿駅東南口の高架下にある無国籍風のカフェに「この店は外国人にウケますね!」と、モーリー。「怪しそうな雰囲気の半面、料金を明確に提示しているのが安心ですから」

靴を履きつぶすほど歩き回った新宿の街。経済的には困窮していた時期ながら、モーリーの心は荒むどころか、来る未来に希望を抱いていたという。
「2000年代当初は通信環境が整っておらず、コンテンツもそれほど多くなかった。でも、インターネットに大きな可能性を感じ、この世界を舞台に、音楽や報道など自分がやりたいことを自由にやっていこうと決めていました。そのスタンスは、テレビ番組に出るようになったいまも変わりません」
07年には総指揮を獲ったアートプロジェクトで、チベット自治区や新疆ウイグル自治区などのアンタッチャブルな地域から現地の様子を配信。インターネットを活用したジャーナリストの先駆けとなった。モーリーにとって新宿放浪時代は、本格的なネット時代の到来を待つ人生の夜明け前だったのかもしれない。

バスタ新宿とニュウマンを要する複合ビルミライナタワーが南口の雰囲気をガラリと変えた。「最近上京した人は、南口がゴミゴミしてたなんて想像もつかないだろうなぁ(笑)」

IT産業が芽吹いた街に訪れた、
1世紀に一度の大変革。

かつて渋カジファッションやギャル文化、渋谷系といった音楽ジャンルが生まれた渋谷。そしていま、「100年に一度の大変革」とされるほど駅を中心に大規模な再開発す進む渋谷も、モーリーにとって思い出深い街だという。
「僕が仲間と遊び、シスコなどのレコード店巡りをしていたのは、渋谷がもっとも元気のあった80〜90年代。チームやコギャル文化が花咲き、音楽では渋谷系がチャートを賑わしていた頃で、それこそ渋谷パルコがファッションやカルチャーを牽引していた、東京いちエネルギーをもっていた時代です」
音楽シーンにおいてはいまも流行の発信地であり続ける。1995年にオープンしたタワーレコードは渋谷のランドマーク的存在であり、「アトム」や「ハーレム」などの人気クラブが集まる円山町は、世界から音楽ファンが集まる“クラブ街”だ。

渋谷を代表するクラブ「ウーム」の前で。「私も何度かイベントでDJをさせてもらいました」。モーリーのDJはblock.fm「Morley Robertson Show」で聴くことができる。

「飲食や買い物、そしてクラブとそれぞれの目的を持つ人たちが、なんの接点もなくすれ違う世知辛さが、大都会の東京らしいですよね」と、道玄坂を歩くモーリー。

渋谷もまた新宿同様、モーリーが雌伏の時を過ごした街でもあった。その象徴が、渋谷駅ハチ公口前に広がるスクランブル交差点の一角に建つQフロント。ツタヤやスターバックスカフェが入る、誰もが知る渋谷の“顔”だ。
「1990年代後半には渋谷にITベンチャーが数多く起業。シリコンバレーをまね、渋(ビター)と谷(バレー)をかけ合わせた「ビットバレー」と命名、ITバブルに湧いていました。その盛り上がりは苦手でしたが、ITで情報発信をするべく、多くのベンチャー企業に出入りしていたんです。僕の構想を話すと、多くが『一緒にやろう!』って盛り上がるんだけど、すぐに資金がショートして潰れちゃう会社ばかり(笑)。99年に開業したQフロントはそんなITバブルの象徴であると同時に、僕にとっては焦燥感を募らす対象でもあったのです」

47階建てと渋谷界隈ではもっとも高層な渋谷駅直結の新たなランドマーク「渋谷スクランブルスクエア」。屋上の「渋谷スカイ」は渋谷全体を眼下に望む新たな名所となっている。

渋谷で活動していた頃を振り返り「厳しい時期だった」や「耐えていた」と語るモーリー。それでも挫折しなかったのは、ITの可能性を信じていたからだという。
「インターネットの爆発的な普及を確信していたし、それにより世界が変わるという予感がしたから。その匂いをこの街に感じたからこそ、収益化できなくてもホームページやポッドキャストなどで情報発信を続けられたのです」
可能性を信じてインターネットの世界へと飛び込んだ。前述のように、インターネット・ジャーナリストの先駆けとして国内外で活躍するも、当時はパソコンの処理能力といえば現在のスマホ以下と、苦労の連続だったと苦笑する。
「そもそも資金難だしね(笑)。でも、やっぱり諦められなかった。続けてこれたのは、夢と野心、そして執念、これに尽きます!」

渋谷スクランブルスクエアの屋上、上空299mから渋谷全域を望む「スカイステージ」(有料)。快晴時には富士山や東京湾をも望む。空気の澄んだ午前中がオススメ。また、夕景もロマンチックだ。※撮影協力:渋谷スクランブルスクエア

モーリーが最後に訪れたのは、昨年11月1日にオープンした渋谷の新たなランドマーク、駅直結の複合施設ビル「渋谷スクランブルスクエア」だ。
「このビルが出来て、東口の表情がガラリと変わりましたよね。また、入っているテナントにハイブランドが多いことも、インバウンドを意識したのだと思う。しかも、このビルはショップのみならずオフィスも入っている。渋谷が若者の街だったのは、もはや昔のことであることを強く実感させられます」
渋谷を眼下に見下ろす「スカイステージ」では「ガラス張りで抜けているから、ちょっと怖いですね」と、引き気味のモーリー。しかし、馴染ある場所を見つけると「知っている店舗や道を上から見るのは斬新で面白い。あ、新旧の国立競技場が見える。この景色は50年の時の流れも可視化できるんですね」

※撮影協力:渋谷スクランブルスクエア

モーリーと巡った上野、新宿、渋谷という3つの街。かつて住み、歩いてきたそれら街のなかでも、より印象的だったのが渋谷だという。
「100年に一度とされる大変革の真っ最中だけに、より街の代謝を激しく感じましたし、さきほども言ったように若者向けのカジュアルな町から脱している印象をもちました。僕がよく訪れていた時代の雰囲気が無くなるのは寂しい気もしますが、つねに変化し続けるのが街というものだし、その変化の速さは東京ならでは。となれば、いずれの街もこれからどのような変化を遂げるのか楽しみですね」
56年前のオリンピック開催時がそうであったように、今夏、再び開催される東京オリンピック・パラリンピックを機に、いま東京が大きく変わろうとしている。
「その瞬間に立ち会えるなんて、これほどワクワクすることはありませんね」

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